歴史上「まなべ」姓が文献にはじめて登場したのは「まなべ」姓の多い愛媛や,香川などの四国ではなく,我が兵庫県は神戸市ですが…皆さんご存知ですか。今年の全国大会は当会担当で神戸にて開催されます, 此れを機に文献の一部を現在風の口訳にしてお届け致します,約800年昔の生田の森にタイムスリップされては…。
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平家物語 巻第九 「二度懸」 よりの口訳 |
そうしているうちに,成田五郎もやって来た。また,土肥次郎実平を先頭に,7千余騎も到着し,いろいろの旗指しをあげ,おめき叫んで攻め戦った。
一方,大手の生田の森では, 源氏が5万余騎で固めていたが, その中に武蔵国の住人,河原太郎・河原次郎と言う兄弟がいた。河原太郎が弟を呼んで,『大名は,自分は手を下さないが,家人の高名をもって自分の名誉とする。(だが,我らには家人と名づける者もいない)だから我らはみずから手を下さなければ,(名誉を得ることは)できない。敵を前におきながら,矢一つをすら射ずに待っているのは,あまりにもじれったくなってきた。この際そなたはここに留まり,後々の証人となれ。 高直はまず城の内へ紛れ込んで,一矢射ようと決心した。
されば千万に一つも生きて帰れることはあるまい』と言うと,弟の次郎は,涙をはらはらと流して,『ただ二人しかいない兄弟が,兄が討たれて,弟一人後に残ったとて,どれほどの栄華が保てようぞ。ただ同じところで死のう』と言って,
最後の有様を妻子の元へいい送り, 馬にも乗らず藁草履をはき, 弓を杖にして生田の森の逆茂木を上り越え,城の内へ入り込んだ。
星あかりで,鎧の毛色もそれとわからない。河原太郎は大音声をはりあげて,『武蔵国の住人,河原太郎私市高直・同じく次郎盛直,源氏の大手,生田の森の先陣であるぞ』と名乗った。
城の内ではこれを聞いて,『ああ東国の武者ほど恐ろしい武者はいない。 これほど大勢の敵の中へ,たった兄弟2人で入ったとて,どれほどのことをしでかすことができよう。まあしばらく2人をあやしてやれ』と言って討とうという者は一人もいない。 この兄弟は優れた弓の上手であったから,
矢をつがえては引き, つがえては引きしてさんざんに射た。 『こうなっては,あやしてもおられぬわい。さあ討て』という声がかかったかと思うと,西国にその名も高い強弓の名手,備中国の住人,真鍋(部)兄弟の一人真鍋(部)五郎が, 兄の真鍋(部)四郎を一の谷に残し,一人この生田の森に来ていたが,これを見るとよっ引いてひょうっと放った。
河原太郎は鎧の胸板をつっと射抜かれて,弓杖にすがり,すくむところを,弟の次郎が走り寄って,兄を肩にひっかつぎ,生田の森の逆茂木を乗り越えて帰ろうとしたが,真鍋(部)の二の矢に河原次郎の鎧の草摺りのはずれを射られて,兄と一緒にその場に倒れた。 真鍋(部)の下人がその場に駆けつけ,河原兄弟の首を打ち取った。大将軍,新中納言知盛卿がこれを御覧になられて,『 あっぱれな剛の者どもかな。 これら兄弟の命を助けてみたかったのに』とおっしゃった。 |
出典: |
滑p川書店, 昭和42年12月20日発行, 著作:冨倉徳次郎, |
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「平家物語全注釈」 (下巻) 巻第九。 |